九州磯釣連盟 海洋磯釣倶楽部(サーフメイズJAPAN)2025.3月で創立50を迎えました
2009.5.公開.   2022.11.更新中.   新しいバージョンで紹介します           musick クラシック(白鳥の湖



散別

優しい自然の中で、命ある魚との出会い。
その触れ合いから始まった趣味の、魚釣りゲーム。
それは自己をみつめる優しいひと時だった。
時空の中で心洗われる楽しい遊び、そして想い出。
タイムトラベルの中に取り込まれた釣り人は、やはり一つの命でしかなかった。
私達が求めてきた釣り、そして生甲斐。その結末も自然に帰ることだった。
一生懸命生きること、それが大事。
今はそう想いながら、彼が愛した海を見つめていたい。

                          文、海洋磯釣倶楽部 会長 上瀧勇哲






機関誌 海洋だより .245号     平成21年5月発行より抜粋

          海洋のおいたち

私は今、行橋市に住まいを構えているが、生れ育ったのは北九州市小倉である。
社会人となり始めて勤めたのが北九州市若松区の吉田印刷所、通勤で通った若戸大橋とか洞海湾にはごく普通に接した。
海そばに会社があり、北九州市のシンボル若戸大橋とか若戸渡船には毎日通勤で利用した。

その若松で釣り友の妹をもらい若松に住みついた。そして、釣りという趣味に深く没頭した。

釣り好きの藤崎さんとは会社の先輩で、その同好の仲間達は多いときで30人を超えた。
藤崎さんと共に吉田印刷磯釣りクラブを結成し、釣りとの接点を多く持ち、お付き合をたくさんした。
その遊びの世界で藤崎さん家族と私の家族の親交はより深かった。

同じ社宅に住む先輩、後輩のお付き合い。釣りも磯釣りから投げ釣り、なんでも良くした。もちろん一人息子の慶冶くんとは釣り心が知れて、親子で筑前大島に良く通った。
海洋磯釣倶楽部にも入会し、ウキふかせ釣りを、とにかくアピールさせ「おいちゃん、おいちゃん」と親しく声をかけてくれ、すごく仲良しだった。

その藤崎好夫さん親子が若松高塔山そばに新築、引越し。私も若松から離れ小倉南区志井へ、そして行橋市へと引越しをしながら、藤崎さんとの交遊は早40年を越えた。

今も現役で会社勤め、時々は息子さんや家族と釣りに出かけた話を聞き、ほのぼのしたファミリーだった。
たまーに訪問すると、いつも息子、慶冶くんの話し。奥様も自慢の我が子であった。
そんな家族的なお付き合いをいまだにしている私は、居心地の良さを感じているのだろうか。

そして、まさかの海難事故。
釣り趣を越え、様々なお付き合いをした藤崎好夫さん親子の散別をここに記した。
これは私達の教訓として受け止め、事故に遭遇しない、強い意志で釣りを楽しんでもらいたい。その上で私達釣り人は皆友達であることを意識してほしい。それが私の、藤崎好夫さん家族の願いでもあるからだ。


2009.5.1.

                      海洋磯釣倶楽部 会長 上瀧勇哲





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第一部 釣り人の遭難 海難救助.現場を考察する
平成21年1月23日金曜日〜1月27日火曜日 海難救助.事故現場を見守る
第二部 釣り人の命 遭難、その結末
平成21年2月7日〜2月11日 釣り人の人生とはなんだろう
第三部 釣り人の命 事故の教訓をいかす道
釣り人の自己責任とは、MFG九州、高園 満さんからメッセージ
第四部 50年間、釣りと親しんだ親が、子の命を奪った釣りを後悔し
さらに家族を崩壊させた釣りを憎む。実は息子の命だけではなかった。
第五部 友情と交遊、その果てにあるもの
釣りの先輩と後輩、家族で結ばれる絆を知る。しかし……
第六部 


              
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 世界でたった一つの花  吉本耕二さん、菊地正文さん、「想い出のアルバム」











釣り人の海難・遭難救助、消防署.警察署.海上保安庁.レスキュー隊の活動
釣り人の命 遭難現場を考察する


遭難.その結末 事故の教訓を活かす 友情と交遊.その果てにあるもの




                                  海洋磯釣倶楽部 上瀧勇哲