九州磯釣連盟 海洋磯釣倶楽部は(サーフメイズJAPAN)2025.3月で創立50年を迎えました
2009.5.1.「機関誌 海洋だより」記載文より、ホームページに転載公開。2021.12.リニュアル公開 musick 白鳥の湖
2003.5. 藤崎好夫さんが新築祝で植えてくれた玄関の五葉松
50年間釣りを親しんだ親と子の運命
50年間釣りと親しんだ親が
子の命を奪った釣りを後悔し
さらに家族を崩壊させた釣りを憎む
親しい先輩と後輩の関係、そして
8月盆で欠かせないご先祖様のお参りと交遊
毎年の8月盆で欠かせないことは、私の恩師であり、釣りの師匠さんでもあった空閑敏明さんのお墓参りと、親戚や親しい釣り友の初盆家のお参りである。
今年(平成21年)は、北九州市若松で4件のお墓参りに加えて、初盆家の義叔父家と釣りの先輩、藤崎さん家へ行く事だった。
朝9時に妻と出掛け、仕事と、釣りを教えてくれた空閑師匠が眠る大井戸町の禅宗寺、納骨堂に入り、いつものように親戚でもないのに、納骨扉を開けてもらい、少しさわって手を合わせ、「機関誌 海洋だより」と、ささやかな香典を置いてきた。
そして、高塔山上の洋子ちゃんの叔父家へ行き、仏壇に手を合わせ、しばし亡くなったおばさんの話し、色々。
その高塔山ふもとに住む、藤崎さん家へ行くと、いつものように明るく出迎えてくれた藤崎さん夫婦。
奥さまから奥の座敷に通されて、奇麗に飾られた仏間の前で慶治くんの遺影を見ながら藤崎さんが
「よう来てくれた。本来なら天理教は初盆はしないとされたが、思い余ってしたんですよ…… 」
等々聞きながら、ふと慶治くんの隣に美奈ちゃんの写真も同じように置いてあるので、ちょっと聞いてみた。
「藤崎さん、なんで美奈ちゃんの写真、ここに置くん? 」
すると、気むずかしそうに
「ジョーさんには言ってなかったけど、実は慶治が亡くなって10日後、美奈も逝ってしまった!! 」
「エッ」
しばらく声が出なかった。
藤崎さん、奥さま、娘のさゆりちゃんが色々、ことの説明をしていたが、ほとんど聞けてなかった。
神殿の前で、10分ぐらい二人の遺影を見つめ、涙がでてきて、もう止まらない。
なんで…… なんで…… なんで、もう。
今、この稿を書いているときでさえ、涙がでてきそうだ。
美奈ちゃんは海洋磯釣倶楽部の会計代理を6年ほど努めてもらった。几帳面で丁寧、優しく思いやりがあり、しかも美しい。
なんでこんな子がお嫁に行かないのか不思議であったが、藤崎さん夫婦が手放さなかった? と思えるぐらい、気立ての優しい家族思いの女の子でした。
36年前、藤崎さんと会社の仲間達で結成した海洋磯釣倶楽部は当初16人で、ほとんど近場釣りとかファミリーフィッシングの釣行会を多くした。家族慰安会でキャンプや海水浴、ハイキング、花見など、遊びの釣りを良くした。
その遊びのクラブには藤崎さん家族と私の家族があり、姉役の美奈ちゃんは、いつも私の子供を遊んでくれた。
同じ会社の社宅に10年ごろ住んでいたから、よけいに家族同士の絆が深かったのかも知れない。
2月10日、11日で慶治くんの葬儀が無事終え、美奈さんはしっかり両親を支えていた。
しかし、その数日後、疲れからか風邪をひき病院通いをし、週末には天理教で慶治くんの法要があるのでガンバッて支度をしていたとき、お母さんの胸に倒れ込み、そのまま逝った、と奥様から聞いた。
このことは親戚、身内のものだけに知らされ、ささやかな葬儀をしたそうだ。
美奈ちゃんは絵が上手で「日展」に出すほど魅力のある絵を描いていた。
初盆の祭壇横に数枚置いてあり、その絵を見ながら藤崎さんご夫婦が涙を流しながら二人の昔話し、想い出話し、それに、後悔と現実を想いうかべながら、私達が訪問してくれたことを感謝し、私の手を握ってくれた。
人生を描く、他人事を描く、奇麗に、素敵に、優しく、美化しながら描いても、それがどのように人々がとらえ、受けとり、感じてくれて、自己の人生に生かされて、人間らしい生き方ができるか、それがこのテーマ。
人間だれしも幸福な一生を送りたい、自己満足して、思いっきり幸せになりたい。しかし、自分だけ幸福になるのはイヤだ。家族や友達や、みんなが同じように幸福になってほしい。それが私の願いであり、私の生き方でもある。
2010. 上瀧勇哲

2000.6. 大分県津久見四浦赤崎、川崎丸渡船にて左、藤崎義治さん、中、藤崎さん、右、中西さん。
海洋磯釣倶楽部 主催の津久見大会で、検量委員で、藤崎さん親子。
第五部へ続く
