九州磯釣連盟 海洋磯釣倶楽部は(サーフメイズJAPAN)2025.3月で創立50年を迎えました
2009.5.1.「機関誌 海洋だより」記載文より、ホームページに転載公開。2021.12.リニュアル公開 musick 白鳥の湖
2009.1.24.事故現場海域を捜査する海上署ボート、陸上の若松警察署レスキュー隊をサポートする。遠景は若松警察署と捜査車両
第二部 釣り人の命 遭難その結末
平成21年2月7日 土曜日 夜 中潮
若松区響灘埋立地、通称 運河東側の新日鉄埋立地岸壁で、夜釣りをしていた八幡西区の釣り人が、ウキを流していたところ、目の前に大きな人間らしきものを発見。携帯電話で110番通報し、若松署員が駆けつけ、遺体を確認、引き上げて若松署へ。
その夜、親が検証、息子であることを確認した。
その後、警察署において遺体が検証され、家族の元に帰ってきたのが10日(火)となった。
2月9日 月曜日 朝
藤崎さんから電話があった。私は出社中で、妻が電話を受けた。
言葉にならない親から、ことの経緯、慶治が帰ってきた。
明日10日、通夜。11日、葬儀を告げられた。
その夜、帰宅して妻から報告を受けた。驚いたが、意外にも冷静に受け止め、仲間の川原勝巳氏に連絡をとった。

2月10日 火曜日 夕方 通夜
夕方、勤務を終え、その足で妻と若松区紫雲閣へ。
親と家族と、棺に入った釣り友。その遺影を見て、改めてこみ上げてくる悲しみを抑えた。
会場には彼の仲間達と、彼の従兄弟である中西兄弟とは昔からの釣り仲間である。
久しく交わす言葉も切ないが、やはり釣りの話し。
釣りクラブの仲間達も弔問に訪れたが、事故のことは、なにも触れないでいた。しかし親はことの弁明をするしかなかった。
初めて天理教の通夜、葬式に参列した。
神のみたまに近づく信者を見た。

2月11日 水曜日 葬儀 事故現場に花を添える
早朝、晴、やや風は強いが、暖かい陽ざしが車内に飛び込んでくる。
葬儀は10時だか、その前に事故現場に行き、花を供えて彼の叫びを聞いてやりたかった。
妻が花束を添え、私は熱い缶コーヒーと柔らかいパンを添え、冷たかったろう海の中で、その想いを少しでも受け止めてやりたかった。
合掌
そして脇ノ浦漁協事務所に行き、事故の報告。その上で、機関誌「海洋だより」を5部ほど差し上げ「組合員皆さまの協力に感謝します」と御礼を述べた。
若松区大井戸町の葬儀場に入り、親と家族に挨拶。
棺に触って彼の前で手を合わせた。
神式は一礼、4拍、一礼、4拍、一礼の儀式であるが、私は浄土真宗なので数珠を手にし、手を合わせた。
朝の私の行動を家族に伝え、葬儀が終えたところでもう一度、仲間達と事故現場に献花することを約束し、親から感謝された。
今は、私達ができることをしたい、ただそれだけだ。
たくさんな、大勢の参列者で天理教 山手教会、館主 池田会長が神式で儀式を進めた。参加者全員が榊を添え、一礼4拍、一礼4拍、一礼をして彼とお別れをした。
そして再度、仲間と若松西部埋立地 脇ノ浦港そばの事故現場に行き、仲の良かった浜部利治さんと手を合わせた。
葬儀会場で飾られた豪華な花束を添え、妻も手を合わせた。
心安らかに、神に召されることを願って。

人生ってなんだろう、生きる幸福ってなんだろう
小泉純一郎 元総理の言葉である「人生色々、人間色々」
人、それぞれに生き方があり、考え方も、行動も、顔も様々。
どれ一つとっても同じ人間なんて居ない。
気持ちを、ハートを共有できる人は、互いの信頼関係が結ばれ、心が通い合っているものだ。しかし、そのような人間はごく僅かでしかいない。
互いの交遊を深く結びつけるものは、やはり趣味であり、金銭や損得の感情を全く持たないものとしたい。
その上で、優しさ、思いやり、温かいハートを共有しあう生き方を望み、この世界で「和」につなげるもの。
釣り趣は自然を正しく利用し、楽しみを深めるものであり、自己の利益を求めるものではない。
そんな釣りを、そんな趣味としたい。

社会の役割、生きてきた証を果たす
私達には家族が居る。それを支える会社、仕事があり、社会がある。
生きることは、社会の一員となり、自分の役割を果たすこと、人間に生まれてきた証を果たす、ことではないだろうか。
人間社会の歴史が数千年と続いている中で、小さな一人の人間が行うことは、たかが知れている。
それでも支えあって、何がしの貢献ができれば本望である。
藤崎慶治くんは、40年間一生懸命、社会の為、歴史の為 生きてきた。
このことを私達は感謝をこめて、「ありがとう」 お疲れ様でした、とエールを贈りたい。
そして彼のハートを受け継いで、もっともっと人生を楽しく、家族に優しく、生きてゆこう。
第三部へ続く
