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平成26年6月10日 海洋磯釣倶楽部 会員、OB会員 様
拝啓 お魚釣り季節に入り、海洋のホームグランドである山陰海岸から国東半島、ちょっと遠征した長崎県、鷹島や平戸島、西海橋方面。大分県、津久見四浦と鶴見から下る、米水津、蒲江方面は5月からぼつぼつ釣れ始め、今からの夏場、秋にかけて最も釣れる、楽しめる月例会、大会の釣り場でしたね。
そのような釣り場にシニア夫婦は、しょっちゅう出かけて釣りを楽しんでいますが、以前と違った環境に加えて、ドンドン変化してゆく近代化の波、新しい道路に戸惑っていますね。
それでカーナビが教えてくれる遠回りのコースに「やっぱし」というドライブが結構ありますね。
釣り場に於いても、マイポイントが消えるのは当たり前で、波止が、岸壁が、あっちこっちに出来て、漁港の景観がドンドン変わっています。その事は釣り場が増えるとか便利になった事で「良かったね♡」ですが、反対にその釣り場に入れない!! 波止の釣り禁止とか港に駐車できない!! 全面釣り禁止の港が増え、当たり前のようになっているのが現実問題としてクローズアップされています。
その理由は、釣り人のゴミ問題と、釣りマナーの悪さです。
海洋磯釣倶楽部の月例会や大会のとき、深夜、港でガヤガヤ騒ぐオシャベリとか車のエンジン音、それに排便で、注意を受けた事が良くありましたね。
お魚さんが良く釣れる大分県津久見、鶴見地区から山口県長門方面。佐賀県呼子、玄海、肥前区域から鷹島も様子が変わってきています。海洋磯釣倶楽部のホームグランドのベースとしていた若松響灘の港は最悪の状況です。もちろん関門海峡からつながる苅田港までは、ご覧の通りです。
現在、海洋磯釣倶楽部の活動は、目立つようなアクションはしておりませんが、「機関誌
サーフメイズ JAPAN」からつながるお友達とか、私の身近に住むお友達、釣り仲間、そしてネットで交友する、たくさんの釣り仲間と継続されています。私がハイタッチしない限り、海洋磯釣倶楽部、会長を続けておりますが、元気の良い若者を見つけたら譲るつもりでいますね♡ 今は、釣り趣を楽しむ釣り人が、いつでもどこでも遊べる環境を少しでも多く残し、増やすアクションプログラムを考え、有言実行しています。
私のハートは「九州釣り文化」思想です。
釣り文化とは、自然界に生きる、お魚さんを相手にした人間の狩人本能を貴め、自由な発想で釣趣を楽しみ、人々のコミュニケーションを増し、価値観を共有し、国民全てが自然景観に浸る釣りを理解し、共感しながら未来永劫を貴め合うことを言います。そのような釣り文化を、万人の人々が自由に愛し、優しい海辺環境の中で遊びながら、世代を超えて受け継がれることを、今の私達が望み、アクションプログラムします。
海洋磯釣倶楽部の伝統は、その事を大切にしながらモチベーションを貴め、釣り人のリーダーシップをとってきた事が今に続いています。
今度、サーフメイズ JAPANが主管する「JAPAN クリーンアップ Sports fishing カップ2014」は、プリント(写真)部門 と、釣り場環境美化などをメッセージで頂く コメント部門 を、手紙か、封書で応募するスタイルで、インターネット「サーフメイズ
JAPAN」より、全国ネットで開催するものです。
小さな催しですが、海洋磯釣倶楽部しかできないアクションですので応募の程、よろしくお願いします。尚、身近なお友達や家族、子供さんでも、自由に参加できますから、7月1日から10月31日のロング期間中に、お魚釣りと、釣り場美化などに関わる事を親しんで頂けると嬉しいですね。
お便りなどありましたら、お電話か、お手紙、そして遊びに来てくれると尚、嬉しいですね。お魚さんでお食事会ができますので、予約を入れて下さい。それでは皆さんの活躍と健康を祈念いたします。
敬具
2014.7.
上瀧勇哲、洋子
新年あけましておめでとうございます。
趣味のお魚釣りコミュニケーションから始まった、釣り仲間達のアクションは、海洋磯釣倶楽部の創立に繋がり、お魚釣り文化をリードした時代が永く続きました。
その歴史が、今年40周年という節目に達して、私達が築いた「九州釣り文化の礎」が今に活かされている事を強く感じます。
本年はそのようなイベント行事にもタッチして、先輩皆様と、支えてくれた、たくさんな皆様に感謝したいと思います。本年も楽しいお魚釣りをしましょう。どうぞよろしく。
平成26年1月1日
海洋磯釣倶楽部 会長 上瀧 勇哲
平成24年5月1日 海洋のおいたち №179
機関誌「海洋だより」 4月1日号 の中で、日本で有名なお医者さん日野原重明さん(博士)が朝日新聞に連載している「100歳・私の証・あるがままに行く」の、ゆるす(恕)というテーマを2週続けた稿を読み、すごーく大切な言葉として「機関誌 海洋だより」に記載しました。そして私が想ったことを書きました。今度はその続編として続けます。
…… ◇ ……
若者を育てる社会を築くには
福岡県行橋市 在住 上瀧勇哲(61才)
批判をしない、励ます努力をしながら、失敗を恕(ゆるす)ハートを持つ事をテーマにし、私が体験したことを紹介します。
会員6000人の九州磯釣連盟がスタートして、本部事務局長であり、北九州支部1600人の支部長でもあった薮田俊朗さんが大活躍した時代です。その頃の私は、まだ20代の若者でした。その私を朱竿堂に頻繁に呼び出された事から始まります。
薮田支部長が経営している、○○商社 兼 奇麗な手作りウキなどを展示しながら販売もしていたお店が朱竿堂でもあります。その会社は小倉北区室町にありました。すぐそばに㈱ヨシカネ店やネーム、刺繍、ワッペン等を製作していたお店などがありましたから、海洋のワッペンとかベストの刺繍、そしてトロフィ等を注文していましたから、私は随分、朱竿堂を訪ねたことになります。
そんなとき、磯連本部の「サーフ指導部長になってくれ」と何度もせがまれます。この時はまだ駆け出しの頃で、月刊
釣ファンの投げ釣り稿を書いていて、主にファミリーフィッシングとか、関門海峡の釣りに専念していた時代の頃でした。
あまたに全日本サーフキャスティング連盟の北野さん、西村さん、畑間さんなどのリードオフマンが、西日本投げ釣り界をリードし、サーフキャスター400人の会をまとめ、育てていた時代です。
で、何度も辞退していたら、そんなら1日でいいから釣り講習会で話してくれ!!と、頼まれイヤおうなく、小倉北区井筒屋5Fの会場で講義をする事になりました。
テーマは「関門海峡の釣り」一週間かけて台本を作り、チラシも作り、会場で配布して、それを大まかなところを読み出して進めるつもりでしたが、100人以上の釣り人が聞きに来てくれて、ガチガチ、小心者の私は言葉が出ないほどでした。
そのとき、私の前にお話しをされた方が「ウキふかせ釣りのグレ釣り」講義をされました。その方は教師のようにスラスラ教えながら、1時間がアッという間に終わり、大拍手です。私のときは頭が真っ白で、何を言ったか、今だ分かっていません。
その、すごい講義をされた方が二代目、北九州支部長となった松井睦明さんでした。
そして九州磯釣連盟、発足13年目の事です。会員の減少が発足当時よりつづいています。そんな時、なんとかしてテコ入れを計りたい!! ということで、私に北九州支部、広報部長の任を与えてくれました。
それなら「北九州支部だより」新聞発行のアイディアを提案しましたら、執行役員から、お金がないから、できん!! と突っぱねられましたけど、松井支部長が、私が全部責任取るからやってくれ!! と頼まれスタートします。
今までなかったことをする分けですから、一から全て任せられます。このとき「機関誌
海洋だより」を50部ほどコピーで発行していましたから、今度は少なくても1500部を印刷することになります。もちろん印刷屋さんですから、新聞作りはなんとかなりますが、ベースの資金集めの広告です。
これを全九州釣ライター協会の小路 隆さんにお願いしたり、お付合いのある㈱釣研、田中釣心さんや、㈱ボナンザ、㈱タカミヤさんなど10社ばかりアプローチしますが、実績がないものにはメーカーさんは広告はくれません。そんなとき「つりエサの三太郎さん」から広告を貰えます。そして八幡地区長さんより推薦された「正立ウキ」さんからも頂け、私は随分、二つの会社を訪問しました。
新聞を発行することも大変ですが、スポンサーを自ら探す事も大変で、苦労した5年間でした。
そんなことをしながら、一番助けられたのは松井支部長さんでした。「何かあったら全部オレが責任とる」「言うが安く、行動する事が大事」と、口グセのように私をかばってくれました。わずか3年余りの松井さんでしたが、1000人の釣り人をまとめることは難しかったようです。その中でも、都留正義、九州磯釣連盟元会長や下村会長、㈱タカミヤ社長さんとの絆は深くあり、随分、応援して頂きました。感謝です。
その後の2年間は、すごーくイジメられ、カバーしてくれたのは下田総務部長だけでしたから、釣りの役員など絶対にしたくないと思いました。正直、労力から大枚をはたいてやっているのに、金銭的メリットばかりを追求する姿勢にはガッカリしました。
何事も一生懸命、自らが努力してヤル、行動することは、すごく大切なことです。
その中で誰にも迷惑をかけない。特に金銭的なことはよけいに考える必要があります。趣味で、ボランティアで活動する、行動する私の場合は、好きでお世話係をしているのですから、ヤレばヤルだけ負担があります。それは大きく言えば、九州釣界全体のパワーアップの為に、しなければいけない事と、私が自分勝手に思い込んでいるからなのです。誰かがしないといけない事、好きでしているから、趣味であり、ボランティアですから。
そう思えば、私がしていることを遠くから見つめて、あるいは出来るところで協力、応援してくれたら、なおさらパワーが生まれて、ヤロウカナァーと想い込むのは私だけではないはずです。
人を育てる環境にある私達シニア世代は、下からの目線で励ましながら応援してやる、ボランティア、奉仕でガンバル人には暖かい声を掛けて、出来るところで励ましてやることが、すごーく大切です。特に私達の世代は、温かいハートを若者にドンドン注ぎ込む必要があります。
九州磯釣連盟という組織は全てにおいてボランティア、奉仕団体です。
現 下村要一会長のもとで多くの釣り人が手弁当でお世話係に励んでいます。その下部組織の各県支部長以下の執行部スタッフもみんな奉仕のハートで釣り人をまとめ、一つにしています。
そのような活動の中で一番大切なものは共済保険という、釣り人の保険システムです。
この制度は下村会長が命を削ってできたものです。
その保険と会員3000人の釣り人が、なにがしのとき全員で救急、救難救助するシステムがあります。山口県を含む九州各県、何処の地域で事故が起きても、本部執行部スタッフはもちろん、その担当区域の支部地区が総動員で九州磯釣連盟の会員を助ける、相互ボランティア制度は、何処の釣り人組織にもありません。
これ等のシステムを、都留正義さんを頭に据え、先駆けとなった多くの釣り文化人がアイディアを出し合って規約とし、それを伝統にして今に受け継がれています。
お話しは変わりますが、私達が毎日見ている新聞、テレビで知る事、今良ければ、という日本国の政治のあり方は非常に残念です。
外国の様々な政治、文化、国民人々の豊かな社会的福祉のライフスタイルを見て、参考にされて、良い事を学ぶ姿勢が一つも無いのには驚きます。
私は想うのです。人間は50才を越えたら体力も頭も急遽衰えてきます。大企業が55才定年、最近は60才なのですが、その世代を通り越して見れば分かる気がします。
若者の時代を築くなら、若者が政治を行う、政治家も60才定年です。
自分勝手な事を書いていますが、私達の世代は大きなハートで見つめてやる余力があります。元気のイイ若者が時代をリードする熱意を感じたら、私達はドンドン応援してやりたいものです。そして温かいメッセージを届けたいものです。
お話しがちょっとズレてきましたけど、若い方が努力してガンバル!! けど失敗した、くじけそうになった、しかし、もう一度再チャレンジする為に「恕」、そして批判しない!!
希望があり、夢があり、ロマンを、幸福を、若者が追っていたら、温かい目で見つめてやり、出来るところで協力して応援してやる、そんなハートを私達シニア世代が持ち、お魚釣り以外の分野でも、色んなところで、この事を私は実践しています。
日野原重明さんの「100歳・私の証・あるがままに行く」朝日新聞の稿を読み続けて、このような文章を書きましたけど、日本人とか、世の中たくさんの人々が居て、一人一人みんなハートが違うことに、すごーく敏感に感じています。
だから人間って面白い。色んなお付き合いの仕方があり、コミュニケーションがあり、泣いたり、笑ったり、怒ったり、怒られたり、色々あってイイ。それらもみんな自己満足して、幸福なんだからできること。そう想って、今度の私の稿を締めくくりたいと思います。みなさん幸福になる為にお魚釣り行きましょう。
2012.5.1 上瀧勇哲
PS シリーズで紹介している「海洋のおいたち」は、海洋のホームページ「機関誌
海洋だより」で、毎月、写真入りで紹介しています。
平成24年4月1日 海洋のおいたち №178
暖かい日差しがやっと出てきましたこの頃ですが、今年はまだ「つくしんぼ」見ていません。それに行橋市を流れる三本の河川敷は、やっと黄色の菜の花が出てきて、1ヶ月遅れとなっています。そのような行橋景観がNHKの全国放送でPRされました。
その恵まれた川でルアーを引く若者が最近増えています。まだ難しいようですが、都会のすぐそばに釣り場があることは、私達はすごく恵まれています。
ちなみに、東京や大阪のような都市のド真ん中に流れる川、岸で釣りをしている風景をテレビで見たことありません、お魚さんが住めてないんでしょうか? もし、そのような所で魚釣りフィバーがおこれば、釣り人1千万人の時代が、再び起きるかも知れませんよね?
さて、お魚釣行会も、やっと動き出したようですが、肝心のお魚さんが冬休みでは話になりません。暖かい風が、温かい水が、河水を潤わせて、お魚さんが元気に動き回れて、エサをたくさん食べれる環境がある。そして、稚魚をたくさん放出させてくれ、育つ、そのような恵まれた自然環境が整っている地域って、そんなに多くありません。
今、社会問題にしている私のプランに、関門海峡にお魚さんを取り戻す試みを政治家、皆さんにアピールしています。
下関市長さんと北九州市長さんがタイアップして、奇麗な海辺環境整備から海水を浄化させる施策をお願いしています。市長さんだけでは重すぎますから、国政に関わる政治家など、あらゆる立場から関門海峡を見つめ、アクションしてくれる方々に提言書を差し上げています。
何もしないよりは、出来るところで行動してもらう事をイメージアップさせ、上に立つ人が、パワーを持つ、集約できる人が、問題意識を持ってプログラムし、お魚さんが住みやすい環境整備を少しでも多く実現させてほしいと思います。
私達は、そのリーダーを、後押しすることで現実なものとなります。「クリーンアップ」とか「ゴミ持ち帰り」「来たときよりも奇麗な釣り場」そして、人を選ぶ選挙で、さらにパワーアップできます。
2012年、海洋のホームページを新しく作りかえています。出来上がったものから見て頂いておりますが、写真がすごく奇麗になりました。ただ、フイルムからデジタルに変換した写真は、ちょっと気になります。
それで、懐かしい写真をたくさん散りばめて、保存版にしたいと思います。まだ2割程度の仕上がりですが、10割するには5年ほどかかります。マイペースで更新してゆきますので、ときどき見てやって下さい。又、同時並行して「勇哲、洋子のポートフォリオ」も作りかえています。こちらも同じようなスタイルで更新します。
尚、リンク集をまとめて、釣り具メーカーや組織、団体とも繋げるようにしました。貴方のブログをオープンされる方は、ぜひアクセス下さい。又、「海洋のホームページ」は、自由に取り込み下さい。今後ともよろしくお付き合い下さい。
2012.4.1. 上瀧勇哲、洋子
海洋磯釣倶楽部 3月25日 門司めかり月例会&懇親会しました。
平成24年3月1日 海洋のおいたち №177
寒―ィ季節を迎えて、コタツの中で温かい釣れる妄想にふけっておりますこの頃ですが、皆さんのホットな過ごし方はどうでしょうか?
さて、2月1日は節分で、鬼の私は家の外、福の神は釣りのファン子ちゃんですけど、彼女のおかげで我が家は福の神が入れ代わり入って来ます。
幸福をもたらす要因は、日頃からの私生活とか、行いによるもので、持って生まれた彼女の性分ではないかと思います。貧乏神がへばりついている私に、幸福をもたらす女神がついているからこそ、今の私があり、仲間達がしょっちゅう遊びに来てくれる、そう想っているのは私ではなく、他人様の方がよく知っているはずです。
あまりホメ言葉を彼女にやるとエッヘンしたがりますけど、釣りクラブで奥さまと一緒に遊べている川原さん夫婦や大道さんファミリーは、みんなすごく家庭を大切にされ、すごーく明るい絆を色々なところでリードしています。その上で釣りの面白さをぜひ奥様にも知ってもらい、一緒に釣行して遊びながら、ファミリーでお魚釣りを楽しんでほしいと思います。そして海洋磯釣倶楽部に入会してもらえると、すごく嬉しいです。
今年から中原義雄さんの息子さん、中原健吾くん(19才 学生)が入会されました。主に投げ釣りのキス釣りなんですが、ソフトルアーとかエギングなどにハマり、色々な釣りにもチャレンジするそうです、どうぞよろしくお願いします。
2月5日(日)の海洋磯釣倶楽部の総会を、平山さんがお世話係として門司駅前のARK(レストラン
& 結婚式場)で開催しました。
お二人だけ欠席されましたけど、久しぶりに大勢の中で、平成23年度 表彰式にイベント行事のご案内、そしてお話が長すぎた私の挨拶で失礼しました。
わずか1時間余りの会議の後、皆さんお待ちかねの新年会、バイキング料理は、わずか90分がアッという間に終わり、たらふく食べた皆さん、胃薬飲んだ方も居たようです。そして、釣りのファン子ちゃんは、その日の夕食は抜きでした。
ARK支配人と仲の良い実行委員長さんのおかげで、安上がり、サービスも良く、料理も高級ホテル並みで、すごーく評判が良かったこと、おまけにサッポロ生ビールが旨かった6人の皆さんは絶賛していました。本当に楽しかった総会? 新年会でした。
お魚釣りクラブも新しいスタートを切った分けですが、皆さんそれぞれに幸福なスタートではありません。ハンディを背負った会員さんもいらっしゃいますし、無理して月例会に参加される会員さんもいるはずです。その想いは複雑なんですが、私は出来るだけサポートしてやりたいし、元気づける会話やコミュニケーション、そして、釣りクラブで会えるときは、皆で楽しめる月例会にしたいと思います。仲間達に会え、お魚釣りして遊べたことが、ライフワークの中で励みになり、活かされることが、趣味のお魚釣りクラブのありようだと思います。
釣りに行って良かった!! 仲間に会えて良かった!! そんなコミュニケーションを今年一年よろしくお願いします。
2012.3.1. 上瀧勇哲、洋子
平成24年1月1日 海洋のおいたち №176
皆さん、あけましておめでとうございます。今年も海洋磯釣倶楽部の応援、ご指導、よろしくお願いします。
さて、年末年始にかけて、お宮参りをさせてもらいますが、神社との関係は幸福な家庭円満からお付き合いが始まります。それは、私達の生活に欠かせない神頼みという方程式がたくさんあり、私達夫婦は年に20度くらいは、あちこちの神社に訪問します。
その中でも町内にある須佐神社は鎌倉時代に創建された由緒ある伝統文化の豊前発祥地とされ、民が直接関わる民芸文化とか、氏子の役割からくる様々な古いしきたりを伝統とした、町ぐるみのお付き合いを行事にして、お世話係をしています。
4月から5月にかけては、神幸祭という神輿を担ぐお祭りがあります。7月から8月にかけては、夜祇園とか、神楽祭りがあり、氏子が総出でお世話係をします。特に、お米を作る農家の方にとっては、神様と直接結びつくものがあり、すごく大切にされています。そして、祭りに欠かせない元永神楽が舞うと、もう祭りが最高です。そんな祭りを区長(町内会長)とともにお世話係することで、区民に、氏子になれた気がして、すごくハートが豊かになる。そのような神様とのお付き合いをしょっちゅうしています。
ちなみに、須佐神社境内に元永神幸祭を表現した、畳一枚分サイズの手作り写真を寄贈しましたので、ぜひ見て下さい。
もう一つ、洋子ちゃんのお母さんが神様に仕える巫女を15年ほどしていました。
それは長崎県大村市(大村城内)に大村神社があります。その神社の親戚筋にあたる、見明直雄さんと再婚してから巫女というきっかけをもらい、神主さんの夫と共に神職としてのお仕事、結婚式などで巫女役をしていたのです。
見明直雄さんは戦時中、台湾の高雄に軍、命令で高雄神社の神主として派遣され、10年ほど勤めていましたが、敗戦して帰国し、ズーッと神主を勤めてきました。そのようなことからの繋がりで、私達家族が常時、神社との繋がりを深く持てていました。
ですから、洋子ちゃんのお母さん家の大村市に訪問すると、必ず親戚筋にあたる?天宮(東長崎県の総代)にお参りしますし、ときどき大村神社に訪問し、神主さんとお話しができるお付き合いをいまだにしています。詳しくはホームページ「上瀧勇哲、洋子のポートフォリオ」200Pをご覧下さい。
毎年の12月にNHKで放映される「坂の上の雲」で、明治から大正にかけての日本国内から中国、ロシアとの戦争を観ていますが、国の威信をかけた戦争を反省し、なんと悲惨なことかを知ります。その上で、私のご先祖さまも太平洋戦争でたくさん亡くなられたことを、おじいちゃんから聞きました。それで神社訪問をしたときは、そばの忠霊塔にもご挨拶しています。
私達は、お国の為に亡くなったご先祖さまを、もっとたくさん想ってやることも大切でしょうか。そして今の平和をかみしめ、世界平和の為に、私達日本人は、何かを、形で残しておきたいと思います。
人類は皆兄弟、そのようなハートを持ち、趣味の釣りも同様にして、皆様と親しいお付き合いを今後ともよろしくお願いします。
2012.1.1. 上瀧勇哲、洋子